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7年目

無料2023-07-09#Mind

「10年の軌跡」の7年目

はじめに

冒頭で、過去との区切りをざっくりと引いておく:

  1. ブログを丸一年放置してしまった。ATA(社内技術フォーラム)への投稿は欠かさなかったものの、技術的な成長が以前ほどではないことは認めざるを得ない。気力の問題もあるが、主な原因は怠慢だ。
  2. アーキテクトへの道は遠い。一方で技術がビジネスシーンを探し、一方でビジネスが技術的な楽しみを探す。両端からそれぞれが探し求めている状態では、なかなか強い結びつきが生まれない。また、ズームイン/ズームアウトできるビジネス視点を持った後、本当に難しいのは、異なる問題に対してどの程度の縮尺で向き合うべきかということだ。
  3. 600km走る目標は達成できなかった。冬と春、そして間もなく夏も走らずに終わりそうで、**に夢中になって抜け出せないでいる。筋肉はまだあるが、力(パワー)がなくなってしまった。
  4. 改善したいと思っていた友人関係に改善が見られた。誠実に向き合えば、道は開けるものだ。
  5. 反省や自省はしている。いくつかの失敗も経験したが、それによって知恵が大きく増えたわけではない。反省の頻度が低すぎ、速度も遅すぎる。

一歩ずつ足跡を刻んできたが、成長は速くないものの、得られた実感は確かだ。

因果と宿命

私は常々、過去のすべての経験の積み重ねが独特な「私たち」を形成していると考えている。しかし、そこに因果や宿命といったものはない。なぜなら、現在は未来にとっての過去であり、毎秒のいかなる選択も未来を変えるチャンスを孕んでいるからだ。

問題に立ち向かう知恵

子供の頃から、私たちは「勇敢であれ」「問題に直視せよ」と励まされてきた。胸を張り、大きな勇気を振り絞って立ち向かえば、どんな困難も屈服させられるかのように。

しかし結局のところ、胸を張ることは虚勢に過ぎないことに気づく。焦燥や不安と同じように、勇気も実はそれほど役に立たない。問題に直面するために本当に必要なのは、知恵だ。まず自分に問いかけてみよう。「ドリーならどうする?」

ドリーならどうする

審判のいない試合会場

教室には先生が、学校には校長が、球場には審判がいる。悔しさや不公平があれば彼らに訴えればいい。公平正義を代表するその存在が、困難を解決してくれると信じているからだ。

しかし、私たちが身を置いているのは、審判のいない試合会場だ。ここには理由も言い訳も、公平かどうかも存在しない。歴史的な経緯や客観的な要因がどうあれ、それを訴える先はない。目の前にあるのは困難と、刻一刻と過ぎ去っていく時間だけだ。不満を漏らしても意味はない。唯一できるのは、今を受け入れ、困難を解決することだけだ。

何もしないことが、必ずしも最悪の選択ではない

以前は、決断できないことこそが最悪の選択だと考えていた。迷って時間を無駄にしたくないという思いから、いつも急ぎ足で壁にぶつかりながら試行錯誤を繰り返してきた。

間違えればその結果を引き受ける。いわゆる「試行錯誤のコスト」であり、それ自体は大きな問題ではなく、前向きな成長サイクルの一部のように聞こえる。しかし実際には、一度きりのチャンスしかない事柄もある。やれば間違えると分かっているなら、考えがまとまらないうちは何もしないほうがマシなこともあるのだ。

独自性という名の罠

イノベーションは奨励される。だから私はいつも知恵を絞り、人とは違う答えを出そうとしてきた。

しかし、誰もが思いつく答えを、素早く完璧に提示できることこそが、より重要な能力なのだ。斬新な答えに比べ、平凡な答えには「共通認識」という強みがあり、より多くの人に認められやすい。

そもそも、イノベーションの手法自体にも定石がある。真の意味での開拓的なイノベーション以外にも、アップグレード型、差別化型、組み合わせ型、移植型、精神型、破壊型といった「マイクロ・イノベーション」が存在する。マイクロ・イノベーションは斬新な答えほど人を驚かせないかもしれないが、そのコストパフォーマンスは、閃きに頼る開拓的イノベーションよりもはるかに高い。

静寂の中に、青春の輝きを

28歳の年、私は結婚した。

額の髪が広くなり始めた頃、最高にかっこいい結婚写真を撮り、それから自由奔放な生活が始まった。

結婚生活は、妻が言った通り「happy wife, happy life.」そのものだ。良い妻がいれば、人生のすべてが順調に進み、満たされたものになる。未来へ、君が子供のようにいつまでも楽しく、人生の盛りに私を抱きしめて安心を感じてくれますように。

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